資質と義務

 久々の日記である。


 洋式トイレでのチ○コのポジションについてだ。


 久々なのに『そんな話かよ。』ではある。しかし、これは幼少の頃からの疑問である。今まで僕内政府で問題が表面化しなかったのは、以前述べたように、我が家は長年和式だったからだ。


 僕のチ○コは小さい。


 こんな所で発表している場合ではないことは重々承知しているが、話の構成上仕方ない。文学作品における『作品中不適切な差別表現が含まれますが、時代背景等を考慮した上でそのまま掲載しております。ご了承・ご理解お願いします。』とか、不祥事起こしたタレントの出演VTRの画面下部に、『○年○月撮影の物です。』とか出たり…まあそういうもんだ。

 で、その僕でも“置き場”に困る。前過ぎれば当然便座に掛かってしまう。後ろ目にポジションし、適切な位置を取るのだが…その状態でも“小”の出口付近は便座のフチに掛かる感じである。

 どうにか便器内に“小”を納めたとしても、快適ではない。ここまでトイレ話やチ○コ話を書いていて女性が引き続き読んでいるとは思えないが、一応解説しておく。男性というのは大小に係わらず排泄行為を行なう時は、下腹部に血流が集中するようである(体感)。当然チ○コにも血流が流れこみ、膨張傾向にある。薄学がひねり出したのは、『男性の“小水”は遠くへ飛ばすために機能していると推測される。』ということになる。医学知識を持った人ならその構造も説明出来るのだろうが。


 僕の考えではあるが、『男性が洋式トイレで座って“小”をすることは可能ではあるが、個人差と身体的・精神的負荷が掛かるケースが時として起こる。』ということである。


 最近は座って“小”をする男性が増加傾向にあるとのことだが、それは主に『恋人・家族に(トイレを)汚して怒られるから。』という消極的理由且つ人間関係上の問題である。“チ○コのポジションについて”という問題とは別項で扱う必要がある。


 話を戻そう。そもそもの解決策としては、『じゃあ、座って“小”しなけりゃいいじゃない。』、『邪魔なら座ってる間、“持って”ればいいじゃない。』という話もある。

 前者の場合、これは僕の個人的資質の問題かもしれないが、これは不可避である。“大”の時に“小”もいっしょに放出してしまうのだ。どこで見聞きしたか解らないのだが、日本人は下腹部の筋力が弱く、統計的に大と小を別々にコントロールすることが難しい体質だと聞いた覚えがある。これには多くの方が同意していただけるものと思っている。

 後者であっても“放出作業”がどうしても伴なう為、微細なコントロールと鉄壁の便座外への汚染回避が求められる。要は“小”が予感される度の『座り角度や位置の調節』が必要になる。




 何か解決策でもあるかと探りながら書いてはみたが、そのようなものは無さそうだ。途中でも書いていた、女性が最後まで読んでいるとは思えないが、男性の機能について理解の一助になったのではないかと思うし、『何で飛び散らかすの?』とかではなくその裏には苦闘の日々がある。

 トイレは安息の場所であることを信じたい。