バス停

 バス停のベンチに腰掛けていた時のこと。このバス停は何というか…透明の板で囲われていて風除けがあり、スペースも広めで大きめのベンチもある。ここ二、三日の寒さも多少はしのげる造りであるわけで。規模が大きい分、人の出入りも本来は多いのだが、僕が行った時にはジージャンを着た無精ひげ・推定50才男性が座っているのみであった。さすが年末&冬休み。

 僕も一人分空けて同じベンチに腰掛ける。パーソナルスペースと後から来るであろう他のバス待ち客との兼ね合いを考えて、「一人分空け」としたわけだ。この間、0.2秒といったところか。ちょうど良いことに、その男性と僕の間、男性寄りの場所に今日の新聞が置いてあった。これが境界線となる。新聞…やや気にはなったが、混んでくれば男性も新聞を撤去するだろう、とその時は思っていた。

 やがて普段よりも少ないが、それでもバス停内が混んでくる。そこで異常事態に気づいた。バス停が混んできても男性がいっこうに新聞の撤去を開始しないのだ。『何だコイツ』と思い注視する。男性は膝の上にセカンドバックをのせている。アレ?膝の上にmyカバンのせてる人が、この新聞の意味を解らないハズはないだろう。……では、この新聞は彼のものではないのか。我々がバス停に来る前の誰かの放置物だったのか。見ると足の先は微細な角度ながら新聞・僕側からは逆方向を向いており(15度)、『俺の新聞じゃないよ〜あはは!』とアピールしているようにも思える。


 現状:(左より)男性・新聞・僕、という並びである。後から来たバス待ち客には新聞が誰のものかは不明である。時間経過とともにバス停は混んで立ち客も出ている状況だが、新聞アンタッチャブルワールドは健在である。これは危険な状況だ。ドラマなんかでよくある、「訪れた家で人が殺されており、思わず落ちていたナイフを拾い上げたところで警察が登場して容疑者扱い。」である。容疑は僕にもかかっている。


 必死に僕と新聞の間に時限断層を作ろうと試みる。その試技がうまくいったかどうかは不明だが、その後、バスの時刻表どおりの到着で事態の収拾は図れた。結果として、各自の有機的コミュニケーションや能動的解決策は示されることなく、バスの到着という対外的、物理的要因によって危機は回避された。非常に残念な結果だ。


 言い訳として、仮にその新聞を撤去したとして、そのジージャンを着た無精ひげ・推定50才男性が、『俺の布団だぞ。』と言いそうな雰囲気の方だったことを記録しておく。