プロ野球:合併問題の諸ニュース見ての違和感

 時代小説で隆慶一郎の『死ぬことと見つけたり』がある。江戸時代初期、島原の乱起き、各地で大名の取り潰しが激しい時代のお話。舞台は佐賀鍋島藩鍋島藩は経済・機構・人的資源・外圧…様々な条件で危機的状況にあった。その中で主君にも歯に衣着せぬ物言いする主人公の杢乃助が、先代君主鍋島勝茂に問う場面がある。

 会話部分を中心に抜粋してみる。



 『佐賀一国は誰のものでしょうか?ひょっとして殿のものですか。』
 「馬鹿を言え。」
 『一歩譲って鍋島家のものでしょうか。』
 「いい加減にせんか。」
 『成程。それじゃ光茂さま(現主君、バカ殿?)のものでも三家並びに親類方のものでもない、と。』
 「当たり前だ。」
 『勿論、われら浪人衆のものでもないし、百姓町民のものでもない。とすると本当に誰のものなんでしょうね。』
 (中略)


 『佐賀は殿をはじめ御家中のものであり、同時に百姓町民のものでもある。鍋島御一族の“私”していいものではない。』
 『佐賀は又、この土地で生き、この土地で死んだ死人たちのものでもある。今現在生きているものたちが勝手にしていい土地ではない。』



 これ誤解されると困るのですが、一方的に権力者を批判する例ではありません。杢乃助もこの後、“佐賀の風土(過去の歴史)を否定するなら、自分達は佐賀の生者の上にふりそそぐ剣となる(違約)”のようなこと言って、下級層の義務みたいなことも言ってますし。ただ権力者は要素の中で大きなチカラを占めているのは間違いないわけです。



 合併・球団消滅の“権力者”の動きは勿論批判されるべきですが、ユニ着た熱心と思われるファン(一部)が『選手がカワイソウ』とか、野球OBが『ストは得しない。各所に迷惑』というのが聞かれるが、いい意見ではない。『選手が…』というのは自己が無い脊髄反射のようだし、『ストは損…』なものも死ぬか生きるかの話してるときに『許可証は?』とか言ってるような印象を覚える。いずれも僕らなんかより、よりプロ野球(特に近鉄・オリ)に密接した者から、昨日・今日でもこういう話でてくるのは空気感がヤバイと思いました。むしろ国会議員の先生方が、経済的影響心配して『合併やストなど問題は避けてほしい。』などと言ってる方が正直に聞こえるから、根深く長年に渡って放置してきたツケなんでしょうが…。
 



 今日の午後5時? に選手会と球団側で話合いが合意できなければ、ストになる。